莊嚴光院眞影 |
現如上人 嘉永5年(1852)~大正12年(1923) 東本願寺22世門跡、法名を現如、謚は莊嚴光院殿、別号を愚邱という。 嚴如上人の第5子。万延元年得度され、明治3年から翌年末まで門徒を率いて北海 道に渡り、函館から札幌までの道路を造成し開拓をすすめられた。 明治5年、石川瞬台らをつれて欧米を視察をされた。明治22年に継職され、明治 28年4月東本願寺の両堂を再建し、教学や教団の近代的発展につとめられた明治 41年退隠された。 古文書にみる「蝦夷開拓沿道巡教旅程」 我道も ともにひろける もろ人の ゆき来もなけし 札幌のはら 愚邱 莊嚴光院眞影 仕様 絹本 着色 本金欄表装 幅81㎝×高207㎝ |