平尾御坊 願證寺

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莊嚴光院眞影

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 現如上人 嘉永5年(1852)~大正12年(1923)

 東本願寺22世門跡、法名を現如、謚は莊嚴光院殿、別号を愚邱という。

 嚴如上人の第5子。万延元年得度され、明治3年から翌年末まで門徒を率いて北海

 道に渡り、函館から札幌までの道路を造成し開拓をすすめられた。

 明治5年、石川瞬台らをつれて欧米を視察をされた。明治22年に継職され、明治

 28年4月東本願寺の両堂を再建し、教学や教団の近代的発展につとめられた明治

 41年退隠された。

 古文書にみる「蝦夷開拓沿道巡教旅程」
 明治3年2月10日   京都東本願寺 出発
 同年2月12日     長浜御坊大通寺 
 同年2月15日     平尾御坊願證寺
 同年2月20日     大垣別院
 同年3月1日      名古屋別院
 同年3月15日     中津川 西照寺
 同年3月23日     須坂 勝善寺
 同年3月29日     高田別院
 同年4月11日     柏崎 聞光寺
 同年4月17日     三条別院
 同年5月8日      新潟 正福寺
 同年5月9日      新潟より乗船
 同年5月16日     米沢 長命寺
 同年6月1日      酒田 安浄寺
 同年6月25日     弘前 真教寺
 同年6月28日     青森 蓮心寺
 同年7月5日      乗船
 同年7月7日      函館上陸 函館別院
 同年7月15日     長万部 山崎宅
 同年7月21日     余市 久末宅
 同年7月24日     札幌到着

 我道も ともにひろける もろ人の ゆき来もなけし 札幌のはら  愚邱

 莊嚴光院眞影     
 裏書  大谷本願寺釋彰如  御印
              大正12年5月5日
                 願證寺常住物也

              仕様  絹本  着色 本金欄表装  幅81㎝×高207㎝

 

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