御壽像 |
達如上人禁中参内之御影 仕様 紙本 着色 本金欄表装 巾27,5㎝×竪74,5㎝ 達如上人 謚を無上覺院殿・諱を大谷光朗・法名は達如・童名を光養麿・別号を愚泉といい東本願 寺20世門跡。乘如上人の2男、近衛内前の猶子。達如10歳の時(天明8年)天明の大火が 東本願寺に及び全焼。寛政元年より両堂再建が始まり享和元年、13年の歳月を費やして 両堂の再建復興をした。それから11年後(文化8年・達如32歳)に宗祖聖人550回大遠忌 法要を厳修した。その後文政6年11月文政の大火によって東本願寺は再度全焼、達如44 歳。翌7年7月には仮堂を再建し、再び両堂の再建復興を始め嘉永元年(達如69歳)両堂 諸殿の再建復興を成し遂げたが、僅か11年後の安政5年6月再々度、安政の大火によって 東本願寺に類焼し両堂諸殿ことごとく全焼した。ときに達如79歳。翌6年仮両堂の立柱 式を行う。安政6年11月禁中より紫衣鈍色賜着之服勅許され、また金銀鳩杖の勅許とな る。文久元年3月宗祖聖人600大遠忌を厳修した。慶応元年(1865)11月4日沒 86歳。 |