嚴如上人筆
謚を眞無量院殿・諱を大谷光勝・法名は嚴如・童名を豫君・別号を愚皐といい東
本願寺21世門跡。達如上人の2男、近衛忠煕の猶子。初は長浜御坊大通寺の住職
となり姫路御坊本徳寺を兼務。院号を霊心院殿・本名を朗澄・法名は達住と称し
た。法嗣殿の寶如上人(光淨)が遷化するに及び法嗣になる。明治維新期には勤
皇側に献納、焼失した大師堂・阿弥陀堂の復興に努め、国外においては上海に別
院を設けるなど布教につとめた。た。伯爵。明治27年(1894)1月15日沒 78
歳。
仕様 紙本 本金欄表装 巾29,5㎝×竪75,5㎝
台座 着色 きりがね細工
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